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交通と統計 2013年1月(通巻30号)



2013年1月20日発行
定価2000円(税込み・送料別)
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情報の神様 官僚・政治家後藤田正晴の武器
  
津守 滋つもり しげる:立命館アジア太平洋大学客員教授

 不世出の官房長官後藤田正晴は、国家の運営を左右する武器として、情報をいかんなく活用した。警察官僚として諜報を含めた情報に対する鋭い感覚を磨き上げた後藤田は、政治家になってからも、 政府の情報取集・処理体制の刷新を図るなど、国家緊急事態に適切に対応するため、格段の努力を払った。後藤田の高い見識は、特に権力行使の限界をわきまえた上で、当事者の人権に厚い配慮を払う ことに表れている。その死後7年経た現在、情報収集・処理の面で問題もあり、国政に混乱が生じている状況下、中曽根元首相の言葉が思い出される。「関東大震災が発生した場合、危機管理が出来るのは 後藤田を措いてほかにいない。」
市区改正と中央停車場
  
小野田 滋おのだ しげる:公益財団法人鉄道総合技術研究所 情報管理部担当部長

 1914(大正3)年に開業した東京駅は、辰野金吾の設計による駅本屋として知られているが、その計画の源流は市区改正と呼ばれる日本で最初の近代都市計画にさかのぼることができる。 都市を計画的に整備する都市計画の思想は、はるか平城京や平安京の昔にさかのぼることができるが、市区改正は明治維新を迎え、日本が最初に取り組んだ近代の都市計画であった。
 文明開化よってもたらされた西洋技術は、鉄道、道路、運河、港湾などの交通機関の発達をうながし、上下水道や公園、学校、病院などの都市機能に必要な施設が整備された。こうした 都市基盤施設を、無駄なく計画的に整備することは、明治の新政府に課せられた使命で、江戸の面影を引きずっていた東京を、西洋の大都市に比べても遜色のない姿とすることは、近代国家 として国際社会から認められるためにも重要であった。
東京駅丸の内駅舎保存・復原工事と東北縦貫線整備
  
林 康雄はやし やすお:東日本旅客会鉄道株式会社 常務取締役

 東京駅丸の内駅舎を創建当時の姿への復原する工事ならびに宇都宮・高崎・常磐線との東海道線の直通運転を図る東北縦貫線整備工事を進めてきた。本稿では、平成24年(2012年)10月に完成 を迎えた丸の内駅舎保存・復原工事について振り返るとともに、現在、新幹線直上での桁架設工事を進めている東北縦貫線工事について紹介する。
萬世橋駅物語 ―短命に終わった辰野金吾の赤煉瓦駅舎―
  
菅 建彦すが たつひこ:公益財団法人交通協力会理事長

 去る10月、東京駅丸の内駅舎の保存復原工事が完成し、これを記念する講演会や展示会が数多く開催され、またいくつかの優れた書籍も刊行された。
 この丸の内赤煉瓦駅舎が、日本橋の日銀本店と並ぶ建築家辰野金吾の代表作であることはよく知られているが、辰野が鉄道のために設計した建物がほかにもあることはあまり知られていない。 現存するものとして浜寺公園駅(南海電鉄本線。1897年開業、木造平屋建)と奈良ホテル本館(1909年開業、国有鉄道を経て現在はJR西日本が所有。木造2階建)があるが、いずれも関西にあるため 首都圏の人々に馴染みが薄いのは残念である。このほか辰野が設計した鉄道の建物として忘れてはならないのが1912年に開業した旧萬世橋駅の駅舎(煉瓦造2階建)であるが、関東大震災(1923年) で焼失し、萬世橋駅そのものも1943年に廃止されてしまったので、今では知る人も少なくなってしまった。ここでは、この萬世橋駅について様々なエピソードを述べることとする。
変わり行く信号システム
  
佐々木 敏明ささき としあき:元公益財団法人鉄道総合技術研究所専務理事

 わが国における信号システムの変革は、まず東海道新幹線の開業に伴う電子部品の大量投入、ついで1985年ごろのマイクロコンピュータの導入、そして近年にわかに現実味を帯びてきた、無線を 用いた列車制御システムがそのトピックと考えられる。本稿では過去を振り返りつつも無線式列車制御システムに重きをおいて、信号システムの発展の流れを俯瞰してみたい。
ネットワーク信号制御システムの開発
  
国藤 隆くにふじ たかし:東日本旅客会鉄道株式会社 JR東日本研究開発センター先端鉄道システム 上席研究員

 JR東日本では、信号工事の施工性向上と現地試験の軽減とを目的として、連動装置と駅構内の信号機器を光ネットワークで接続し、デジタル情報により制御を行う駅構内ネットワーク信号システムを 開発し、2007年2月武蔵野線市川大野駅において実用化し、その後、現在に至るまで順調に稼働を続けている。現在、駅構内ネットワーク信号制御システムは、京葉線の新習志野駅、及び蘇我駅への導入工事が 進められているほか、首都圏の大駅の連動装置の老朽取替にあわせた導入が計画されている。さらには、このネットワーク信号制御技術を駅中間の信号設備に応用した、駅中間ネットワーク信号制御システムの 開発が行われ、京葉線への導入工事が行われている。また、機器室の論理部を統合する駅構内論理装置の実用化開発も行っている。
整備新幹線の建設スキームと開業効果
  
長谷川 雅彦はせがわ まさひこ:独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 鉄道建設本部新幹線部新幹線第一課長

 平成22年2月の八戸・新青森間の完成により東北新幹線が全線開業し、23年3月の博多・新八代間の完成により九州新幹線(鹿児島ルート)が全線開業した。また、昨年6月には、北海道新幹線 (新函館(仮称)・札幌間)、北陸新幹線(金沢・敦賀間)、九州新幹線(武雄温泉・長崎間)の工事実施計画が認可され、新たな区間の工事に着手した。このように、この数年、新幹線計画が大きく 進捗しているため、まず、新規着工3区間の路線概要とともに新幹線計画の現状を紹介する。次に、整備新幹線の経緯とともに建設スキームを説明し、今回の新規着工3区間の着工条件の検討状況を ふりかえる。整備新幹線が国と地方の負担による公共事業と位置付けられており、着工にあたっては投資効果を検証して判断していること、また、営業主体は受益の範囲を限度として賃付料を 負担することになるが、着工にあたり営業主体の収支改善効果を検証して判断していることを再確認する。最後にその建設スキームを踏まえたうえで、これまでの開業区間が期待された効果を 発揮し、地域の経済・社会の発展に貢献していることを説明する。
東京メトロにおける旅客案内システムの改革
  
大野 良平おおの りょうへい:東京地下鉄株式会社鉄道本部営業部施設課

 弊社における旅客案内サインシステム導入については、帝都高速度交通営団時代の昭和48年千代田線大手町駅で試験的に導入した。主な変更点は、@色彩の統一(緑は乗車系、黄色は降車系)、 A路線色を用いた円形状のシンボルの導入。その結果、出入口や乗り換えの問い合わせが半減するなど良好な結果が得られたことから、翌年の有楽町線池袋駅から銀座一丁目駅の部分開業で 、正式に統一的な旅客案内サインシステムとして全駅に展開し、平成元年に設置が完了した。
 しかし、統一的な旅客案内サインシステム導入以降も、半蔵門線の延伸、南北線の開業といった相次ぐ新線建設や乗り換え駅も増えたことによって駅構造の複雑化や深層化が顕著になり 、旅客案内サインシステムに対するご意見・ご要望が多くなってきた。代表的なご意見としては「文字が小さい」、「必要な位置にない」、「運賃表が小さい・目立たない」といったものであった。 その結果、地下鉄に不慣れなお客様が迷われ「分かりにくい地下鉄」というイメージを持たれるようになった。また、昇降設備や障がい者施設の整備、外国語表記徹底等今までにない思想が求めら れることも相まって、従来の旅客案内サインシステムの改善が急務となり、平成11年に改訂することになった。
 その後、帝都高速度交通営団から東京地下鉄株式会社に変わる平成16年に、今まで親しまれてきたSマークからMマークへ変更、また、乗車系と降車系の色分けを従前の緑色・黄色から変更、 駅ナンバリングの導入といった多種多様なユーザー層にも分かりやすいサインを導入した。
 
ドイツ鉄道の改革と展望
  
青木 真美あおき まみ:同志社大学商学部教授

 ドイツ鉄道が1994年に株式会社化されドイツ鉄道株式会社(DBAG)として発足してから、18年が経過した。ドイツ鉄道がまとめた「鉄道改革の寄与と総決算」では、1)鉄道輸送量の増加、2)連邦の財政負担の軽減、3)利潤を 得ることによる配当の支払い(国に対して)を達成したとして、鉄道改革の目標を達成したとしている。
 事実、鉄道旅客輸送量は30%、貨物輸送量は60%も増加している。また2011年には株式保有者に5億2500万ユーロの配当を支払っている。
 しかし、当初の計画では、いったん持ち株会社を設立し、それが旅客輸送、貨物輸送、インフラ部門の各会社を保有する形をとり、さらに持ち株会社は2002年をめどに解散され、各会社は独立する方針が示されていたが、 独立はいまだに実施されていない。
 本稿では、鉄道改革後のドイツ鉄道の動向と現状を紹介し、その成果についてのDBAGの自己評価とその批判や今後の展望などについて検証したいと思う。
コンゴ・マタディ橋にみる国際協力の軌跡
  
高松 正伸たかまつ まさのぶ:株式会社冨士ピ―・エス顧問

 アフリカ大陸中央部を流れるコンゴ河下流にコンゴ民主共和国(旧ザイール共和国)の港町マタディがある。日本から遥か20,000Km離れたこの地に、有史以来コンゴ河に初めて架けられた本格的な橋梁、 マタディ橋がある。
 マタディ橋は、日本の借款と技術協力によって1979年に建設が始まり、1983年に総額343億円をかけて完成したアフリカ最大の道路・鉄道併用吊橋である。完成から8年後の1991年から今日まで、コンゴの 政情不安や政権交代に伴う国内の混乱のため、建設時に予定していた日本人専門家による現地での技術指導が行われなかった。完成後、既に29年が経過しているが、日本人の技術指導がなかったにもかかわらず 橋梁を良好な状態に保つ維持管理がなされている。建設当初想定していなかったラッピングされた主ケーブルの発錆の懸念以外、特に大きな問題もなく所期の目的を果たし、コンゴの中でその存在感を増している。
 日本の技術協力なしに社会資本の維持管理が良好に行われていることは我が国の技術協力としては異例のことであり、JICAを始め関係者にとっても大きな驚きであった。JICAにおいてはこれからの国際協力につなげるために、 「コンゴ民主共和国「マタディ橋建設」歴史の証言と教訓 研究会」を組織してレビューを行っている。
 筆者はかって、JICAのマタディ橋研究会のメンバーとして2011年に現地を訪問する機会を得た。これらの知見とマタディ研究会の成果を基に、本稿ではマタディ橋プロジェクトを例にとり、遥か遠く 離れたアフリカの地に日本が橋梁を建設することになった背景と維持管理が良好に実施されているという橋梁保守体制の確立が示す技術移転が橋梁の建設を通してどのように行われてきたか、プロジェクトの 成立から完成までの経緯を踏まえながら明らかにしていきたい。
鉄道資料研究: 鉄道統計発達史史論ー3
  
加藤 新一かとう しんいち:一般財団法人交通統計研究所理事

 財団法人交通統計研究所は、日本国有鉄道の計算業務・統計業務の実務を担当する現業組織として設立された歴史を有し、人的つながりも深かった。このような経緯 から、日本国有鉄道の解散にいたる過程のなかで、とくに、明治期以来の国有鉄道の統計部門が統計業務のために現用し、公式に保存してきた鉄道統計および関連資料を 、その散逸を阻止し保全する等の目的のため、当時の所掌部局である日本国有鉄道情報システム部からそのまま引き継ぎ、整理・保存してきた。すなわち、鉄道統計の いわば原本を、それが作成されたままに完全に保存する主体である。
 ここでは、国有鉄道が残した膨大な情報群のそれぞれについてその性格を明らかにし、それらが作成されたバックグラウンドに即し整理・活用しようとする立場からも 「鉄道統計」の問題意識を再検討し、「鉄道統計」を核とする統計系列群をそれらが作成されたままに再構成してみる研究作業が必要であると考える。本稿はその一環を なすものである。
 
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